稲嶺盛一郎
琉球ガラス工芸の第一人者《現代の名工》稲嶺盛吉を父に持ちその技術と感性を受け継ぎ、さらに独自の技法・作風を創造・発展し続ける琉球稲嶺ガラスの承継者
琉球稲嶺ガラスは、廃瓶のガラスを、人間の手で粗々しく、しかも単純に自然にうまれる色のままで、甦らせたものです。
その肌合は、まるで陶器のような温もりがあり特に「泡ガラス」の技法は、その感を強くします。
常に新しい技法に取り組みガラスの造形的な可能性を、追求しています。
その手技と独特の感性に出逢った、棄てられていた瓶から生まれた、ガラスたちはかつて所有したことのない美しさ、引き出されとまどっているように見えます。
プロフィール
1971年 | 那覇市寄居に生まれる |
1987年 | 那覇市立石田中学校卒業 |
1987年 | 泊高等学校定時制課程入学 |
1987年 | 奥原硝子工房入社 |
1991年 | 泊高等学校卒業 |
1994年 | 奥原硝子工房退社 |
1995年 | 宙吹ガラス工房 虹 入社 |
1996年 | 第19回沖縄県工芸公募展(佳作) |
1997年 | 第49回沖展(奨励賞) |
1998年 | 第50回沖展(奨励賞) |
1999年 | 第51回沖展(奨励賞) 沖展準会員推挙 |
2001年 | 新生美術会員 |
2002年 | 第54回沖展準会員賞 |
2004年 | 第56回沖展準会員賞 沖展会員推挙 |
2014年 | 宙吹ガラス工房 虹 退社 |
2015年 | 宙吹ガラス工房 絆 開房 |
2020年 | 父 稲嶺盛吉引退に伴い 宙吹ガラス工房 虹 代表就任 |
琉球稲嶺泡ガラス ストーリー ~琉球ガラスの歴史~
戦
沖縄でのガラス作りは明治時代に長崎などからその技術が伝わり始まったとされています。 主に今の那覇市に幾つかの工房が有ったようですが、戦争により多くのガラス工房が焼失してしまいました。 また戦後の物資不足でガラスの原料を入手することも大変困難になりました。沖縄でのガラス製造は途絶えかけてしまったのです。 しかし米軍関係者から日用品やお土産用にガラス製品の需要が生まれ、ガラス職人たちは米軍基地から出るビールやコーラの空き瓶を原料にガラス製造を始めました。廃
廃瓶を砕き、坩堝(るつぼ)に入れ1300℃以上に加熱して溶かし、新たなガラス製品に生まれ変わらせます。 しかし、廃瓶を元にした再生ガラスは固まりやすく、整形が難しいという欠点があります。 また廃瓶にはどうしても不純物が含まれ、それが気泡の原因となりました。 気泡のあるガラス製品は「二級品」とされました。 職人たちはどうすれば気泡のないきれいなガラスが作れるか、様々な工夫を凝らしましたがどうしても気泡をゼロにすることが出来ませんでした。泡
「琉球のガラスは気泡が入っているから駄目なんだ」あるときそう言われた稲嶺盛吉は「ならば気泡の入ったガラスで勝負してやる」と泡ガラスの着想を得ます。 「気泡を消せないのなら、気泡をうまく生かしたガラスを作る」不純物を必死で取り除き気泡を消す研究から、全く逆転の発想で「何をどれくらい混ぜればきれいな気泡が作れるだろう」という研究に没頭しはじめました。試行錯誤の末に「琉球稲嶺泡ガラス」と呼ばれる「泡」を前面に出した新しい琉球ガラスが生まれました。土
稲嶺盛吉のアイデアは泡だけにとどまりません。工房敷地内での工事の際に出てきた赤土をみてまた閃きました。「沖縄の特徴的な赤土、これをガラスと合わせたら面白い表現にならないかな」 また同じ頃、長男の盛一郎も野球のグランドの赤土から、これをガラスと合わせることを発想します。幾つかの失敗と試行錯誤を繰り返しながら、赤土を溶いた水にまだ赤く熱いガラスを浸し、ひび割れをおこすと共に赤土をガラスに纏わせる技法にたどり着きました。土を纏ったガラスを再び炉で焼くことで土とガラスはしっかりと融着し、ヤチムン(焼物)を想わせる独特な表現が生まれたのです。
続
琉球ガラスは明治に始まり、大正、昭和、平成と時代と共に変化を続けてきました。 いま、廃瓶を使わなくても加工のしやすい原料ガラスが簡単に手に入るようになりましたが、廃瓶などを材料にする再生ガラスに拘ったガラス作りをする工房はいくつかあります。中でも宙吹ガラス工房虹は再生ガラス100%に拘り、色も薬品を使って発色させることをせず元の瓶の色そのままに利用しています。また泡の発生にも他の工房で多く見られる薬品ではなく、米ぬか、ウコン、黒糖、珊瑚など身近な有機物や木炭、アルミなどの無機物といった多様な素材を用いて泡ガラスの世界を広げ、他に類を見ない独特の表現を追求してきました。
「扱いにくい再生ガラスだからこそ出せる、どこか暖かみのある手作りの風合いが好きだ」「これからも再生ガラスに拘り続ける」と「宙吹ガラス工房虹」二代目代表の稲嶺盛一郎は言います。 令和の時代になり、世界的に「持続可能社会:SDGs」が叫ばれようになりました。 廃瓶を使った琉球ガラスは今、時代の最先端を行っているのかもしれません。
宙吹ガラス工房虹の職人たちの熱い思いはこれからも琉球ガラスの世界を進化させ続けることでしょう。